世界に成功者はたくさんいた その10

●アドモス・シューズ社

たった一つ残念なことがあったそうです。

ランスの言葉を借りれば、「仕事の急成長で、ライフスタイルが一変してしまった。SF小説を読んだり旅行に行くのが大好きだったが、今じゃ本を買いに行く暇もない」。

彼はブラジル出張の合間に、休暇をとるのがやっとだったそうです。

それでもいい。

アドニが言うようにみんな

「懸命に働いて不満は何もない。競争相手が次々に店じまいする中で儲かっているんだから、文句のあろうはずがない」

世界に成功者はたくさんいた その9

●アドモス・シューズ社

アドニがイスラエルに残された家族を助けられるのも、仕事の成功があればこそです。

彼は弟を、「イスラエルから輸入した」といいます。

「デザイナー部で人手不足だと言うので、輸入したんだ。弟は今、ランスを助けて、うまくやっている」

移民を雇っているだけではない。

提携先を求めて中南米へ手を伸ばしてもいましたる。

手のかかる手縫いの靴づくりで、ブラジルの製靴メーカーと技術提携したのです。

ブラジルに何度も飛んだラリー・クリードマンは、「あの連中はすごい。やたら手間のかかる最新のスタイルの靴を、信じられないような価格で作ってしまう」と言っていたそうです。

ラリーはブラジル製のモカシンを手に「見てくれ。今年はこいつを売って売って売りまくるんだ。我が社の今年の目玉商品、枕の下に入れて眠りたいくらいだ・・・」と、すっかり興奮していたらしい。

世界に成功者はたくさんいた その8

●アドモス・シューズ社

この国にやってきたばかりという社員も少なくありません。

ニューヨーク市ブルックリンにあるアドニの工場で、来訪者を迎える受付係はボーランドからの移民です。

オフィスでは中国系の事務員たちが帳簿にかじりついています。

床にゴミひとつ落ちていない工場では、プエルトリコその他の中南米系の現場監督が、新入りの機械工にスペイン語で誇らし気に説明しています。

「前に数えたことがあるんだが、ここでは5つか6つの言語が使われている。それでうまく意思の疎通ができるんだから、我ながら不思議だ」とアドニは言ったそうです。

世界に成功者はたくさんいた その7

●アドモス・シューズ社

アドニの仕事上のパートナーは2人。

義弟でチーフデザイナーのランス・ルービンと、セールス・マネジャーのラリー・クリードマンです。

この3人にじっとしてうと言うのは、スズメバチの巣を突ついておいてハチに静かにしろと頼むのと同じです。

事務所の電話は鳴りっ放し、3人のうち誰かが受話器を取ります。

とにかくアドニはおとなしく座っていられない。

日に何度も工場を見て回るし、スパナ片手に機械の下にもぐり込むのも平気でした。

社員とは家族同然。

「6年前に一部屋きりの店で始めた当時からの社員が多い。社員にとって私は絶対、私にとって社員は家族みたいなものだ。彼らの家族全員に、私は責任がある」

世界に成功者はたくさんいた その6

●アドモス・シューズ社

アドニは、その昔ベンチャー・キャピタルがもてはやされる以前にこの国に渡ってきた企業家たちの志を継いでいます。

ゼロから出発して築いた彼の会社はそれこそ汗の結晶でした。

しかし元手なしに仕事を始め、大きくするのは並み大抵ではありませんでした。

投資家から資金を導入して会社を作った創業者に比べ、アドニの持株比率がはるかに多いのは当然です。

しかしそれには、かなりの犠牲を払ったそうです。

アドニの会社は銀行に、ファクタリングや金利、融資手数料として年に50万ドルも支払っているのです。

これまでアドニは、外部の投資家に頼ったことがありません。

世界に成功者はたくさんいた その5

●アドモス・シューズ社

ただ売り上げを伸ばすことだけでは、アドニは満足しませんでした。

「3000から4000万ドルはすぐにでも達成できる。1万5000ドルの元手で始めて、2000万ドルの売り上げだ。そろそろ次に進むための投資を考える時期だ。4000万ドルを売るまでには、2000万ドルまでにかかったほどの時間はかからないだろう」

MBAの授業では、企業家を目指す前途有望な若者に、ベンチャー・キャピタルから100万ドル以上の創業資金が入らなければ、新会社設立を夢みてはいけないと教えます。

しかし、そうとは限らないことをアドニは、身をもって示していました。

世界に成功者はたくさんいた その4

●アドモス・シューズ社

アメリカの多くの靴メーカーが降参した外国メーカーとの戦いに勝ち抜いてきたことがアドニの誇りです。

それこそ、新しい移民がアメリカ経済再建のカンフル剤である証拠です。

大望を抱いて37この国にきて、進んで懸命に働いた彼らです。

みんなハングリーで、海外メーカーとの競争を脅威と感じたりはしません。

むしろ、競争相手にとって脅威となろうとしています。

「この国で仕事をするのが辛いって、それならイスラエルでやってみるといい。イスラエルに比べたら、ここのほうがずっとましだ。一生懸命働くことはなんでもない。文句は言わない。懸命に働いたからこそ、大きな家も良い車も素晴らしい家庭も持てた。望むものはすべて手に入った」

この言葉はアドニの個人的な生活に当てはまりますが、仕事への意気込みはまた別でした。

世界に成功者はたくさんいた その3

●アドモス・シューズ社

アドニが成功したのは、いつも新しいスタイルを店に並べてきたからでした。

彼は社員と年中ヨーロッパに出向き、最新のファッション動向をキャッチする。

「うちなら、月曜にイタリアの靴屋に飛んで、火曜にはカメラマンと一緒に工場に戻り、水曜にはセールスマンに新しい靴の見本を渡せる。アジア人にだって負けやしない。彼らがデザインを真似されないように用心しなきゃなぢないライバルは、アメリカじゃうちだけだ」

女性靴は多種多彩なファッションとデザインが勝負です。

だから、売り上げを伸ばすには常に新しく人目を引く商品を提供することでした。

女性は新しくて奇抜な靴に飛びつきます。

靴箱に並んでいるのと同じデザインでは見向きもされません。

こういう信念を貫いて、アドニはブルーミングデールやメイシーズといった一流の得意先をつかんできました。

世界に成功者はたくさんいた その2

●アドモス・シューズ社

労働力の安いラテン・アメリカやアジアとの競争に負ける一方だった靴業界で、アドニはわずか数年のうちに驚くほどの成長を遂げました。

「同業者は、私のしていることの意味を知る由もない。みんな、工場閉鎖で青息吐息だ。こちらは、事業の拡張やら、競売に出た設備や在庫を買い取るのに忙しい。そうだろう。いくら私だって、新品の設備や機械を正価で買ってばかりはいないさ」

かつて雑誌『タイム』は、「救いを求める3つの産業」と題した記事(85年10月7日号)で、「アメリカの靴産業は救い難い」と決めつけました。

その記事で南カリフォルニア製靴組合のセイモア・ファリブは、「靴産業は滅びる運命」だと述べていました。

しかしアドニは、「アメリカの靴屋は怠漫なだけだ。アメリカ人ときたら、誰もがアジアやラテン・アメリカには価格で、ヨーロッパにはスタイルで後れをとらないかと戦々競々としている。アメリカの靴屋が成功するには、最新のスタイルをいち早く採り入れ、手早く作って客に提供することだ」

と、肩をすくめて言ったそうです。

世界に成功者はたくさんいた その1

今回は、成功者のサクセスストーリーについてです。

とても学べることばかりで、気を引き締めるスパイスとなる気がしました。


●アドモス・シューズ社

ジェイ・アドニがポケットに20ドル入れてアメリカに移民してきたのは1976年、17歳のときだでした。

靴工場の出荷係から、社員250人以上、1986年の総収益2000万ドルを超す靴製造会社のオーナーになるまでのサクセス・ストーリーは、100年前の移民の立志伝そのものです。

イスラエルから渡ってきた当時のアドニは英語も話せず、あるものといえば野心と20ドルだけでした。

それでも、「この国ではまだ夢が現実になる。懸命に、それこそ汗水たらして働けばできる」と信じて、がむしゃらに働いたそうです。

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